日本の古代の遺跡などからは、多くの抜歯の痕跡が発見されています。しかし、縄文時代後期から弥生時代前期においては、その多くが歯の治療のためではなく、儀式や祭礼の際に行われたとみられています。成人式や結婚式、服喪、死者の蘇り、悪霊の追い払いの儀式などです。
抜歯の風習は、縄文時代中期末に始められ、後期・晩期にはもっとも盛んになります。奇しくもこの時代は、厳しい自然環境のなか、人口は減少傾向を顕していました。
麻酔のない時代に、抜歯という、ただ痛いだけではなく、ときには一命にかかわるような危険をともにすることで、同世代の人々、夫婦、家族の間により強い精神的な絆が結ばれることを期待していたのかもしれません。
さて、ここからは「歯科」の国内での位置づけを見ながら「抜歯」をだれが担っていたか説明します。
「歯科」は、701年の大宝律令で医療制度の中に「耳目口歯科」として耳目口の三科がひとつの科とはいえ、「歯科」として確立したあと、平安末期に耳目から分かれて「口歯科」となりました。「口歯科」を担当する医師は一般医師の修行を終えた後に「口中科」を専門としたので口中医と称しました。上流階級に対しては、この口中医が抜歯なども行っていたようです。民間では巫女が抜歯を行うという記録もありますが広く行われてはいなかったようです。
鎌倉時代には僧医と呼ばれる人たちが民間への医療を担っていて抜歯も行うことがあったようです。
室町末期には「口中医」とは別に、入れ歯のみを作る「口中入歯師」があらわれました。口中入歯師は江戸中期頃には一般民衆に対して、歯痛や歯くさ(歯周病)の治療や抜歯を行うようになりました。抜歯は公家、武家など上流階級には口中医、民間では口中入れ歯師、さらに抜歯を主な生業とする「歯抜き師」、などが行っていました。
これらの時代も歯ぐきにすりこんで麻痺させる程度の痺れ薬などが麻酔の代わりで、とても痛みを伴うので、周りの歯や歯ぐきに多少の損傷を与えても短時間で終わらせることが優先されていたようです。
麻酔が使われるようになるには、世界的に見ても19世紀後半、日本では1887年頃まで待たねばなりません。